東京地方裁判所 昭和57年(ワ)3号 判決 1984年10月30日
原告
山田太郎
右訴訟代理人
河原正和
同
山口邦明
被告
国
右代表者法務大臣
住栄作
指定代理人
江藤正也
外四名
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一請求の趣旨
1 被告は原告に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五七年一月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告は、官報の第一面並びに日刊紙朝日新聞及び同毎日新聞の各全国版(朝刊)社会面に、見出しに三倍活字、本文に1.5倍活字、記名、宛名及びその肩書に二倍活字を使用して、別紙文言の謝罪文を各一回掲載せよ。
3 被告は、原告についての身上調査票(整理番号一八〇八九)の記載中、「二〇・九・二七逃亡」とある部分を抹消せよ。
4 訴訟費用は被告の負担とする。
5 第1項につき仮執行宣言
二請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二 当事者の主張
一請求原因
1(原告の経歴)
原告は、大正九年八月台湾新竹州にて生まれ、昭和一七年八月新竹州巡査を拝命し、昭和一八年八月氏名をそれまでの郭椿然から山田太郎に改めた。昭和一九年三月、原告は、海南海軍特務部付海軍巡査を命ぜられ、佐世保鎮守府第八特別陸戦隊司令の命を承け服務すべしとの命を受けて、海南島に派遣された。
2(原告の離隊)
(一) 海南島において、原告は、約五か月間長披分遣隊及び楽会分遣隊に派遣された後、嘉積警察第四中隊本部の情報班長に転属し、終戦まで情報担当活動に従事した。情報班長に配属になつてから原告は、中国文と現地語が堪能であつたことから、情報担当活動を命ぜられ、支那人服を着用して現地人約五〇名を密偵として使い、宣伝、宣撫、帰順工作活動に従事し、終戦時まで大日本帝国臣民かつ皇軍の一員としてその任務に忠勤を励んだ。原告の活動ぶりについては、軍からも実務成績極めて良好という評価を受けていた。
(二) 原告は当時日本国籍であり、原告の情報活動は中国軍に対するものであつたから、日本敗戦の結果、万一原告が中国に接収されれば、原告は戦犯として処刑されることは免れない状況にあつた。そこで原告は、当時の上官であつた特別陸戦隊嘉積警察第四中隊本部中隊長江川浄の承諾を得て離隊した。その後原告は、海南島の首都海口に脱出し、途中再三身の危険に会いながらも九死に一生を得て生還することができた。
3(被告による「逃亡」の認定)
戦地を脱出して海口に達し偶然戦友岡本利雄に会つたとき、原告は同人から原告が軍により「逃亡」として処理されていることを開かされた。軍人軍属にとつて「逃亡」と認定されることはこの上ない屈辱であり汚名である。しかし原告は、自身の身の安全及び戦後の混乱のため右の事実を確認することができなかつた。ようやく昭和五一年に至り、原告は、厚生省援護局の原告の身上調査票(整理番号一八〇八九)に「昭和二〇・九・二七逃亡」と記載され、そのように処理されていることを確認した。
4(被告による右記載の抹消請求の拒絶)
原告は、右記載に深い精神的衝撃を受け、その汚名を晴らすべく旧軍隊の上官を探した結果、昭和五五年九月六日岡山市に在住の前記江川中隊長に再会し、同人から原告の離隊が上官である江川中隊長の承諾を得たものであり、逃亡したものではないことの証明書を得ることができた。原告は、昭和五六年一一月厚生省援護局にて、右証明書を提示して前記身上調査票の逃亡の記載の抹消を請求したが、厚生省援護局ではこれに応じない。
5(被告の違法行為と過失)
(一) 国は、個人の情報を収集する場合、正当な目的と必要性がある場合に限り、適法かつ公正な手段によりこれを収集すべきであり、収集された個人の情報は正確かつ最新のものとして管理するとともに、不当流通等の危険のないように適正に管理すべきであり、個人が自己の情報についてその存在と内容を知ることができるようにし、必要な場合は訂正することができるようにする義務がある。この個人が公権力によつて収集されている自己の情報の存在、内容を知り、その誤りの訂正を求めうる権利は憲法一三条に基礎をおく国民の基本的人権であり、プライバシーの権利の一内容である。また、この権利は、ことの性質上、個人の国籍を問わず、更に当該情報が内部資料として収集されたか否かに関係なく保障されるべきものである。
(二) しかるに被告は、以下のとおりの過失により、原告の右権利を侵害した。
(1) 佐世保鎮守府第八特別陸戦隊司令は、昭和二〇年九月二七日から同年一一月二四日までの間に、台湾籍民軍属調査名簿中の原告に関する部分を作成するにあたり、真実は原告は江川中隊長の許可を得て離隊したのであるからこれを逃亡と認定すべきでなく、また江川中隊長に確認するなどすれば容易にこの間の事情を調査することができたにもかかわらず、これを怠り、原告の離隊を逃亡と認定して右名簿及びその他の関係書類にその旨記載した。
(2) 佐世保鎮守府第八特別陸戦隊司令は、個人の人格・名誉がマイナス評価されるような認定をするときは、本人の名誉が侵されないよう右認定が外部に知れないように配慮すべき守秘義務があるのに、これを怠り、原告について逃亡と処理したことをそのころ一般隊員に知れるように外部に漏らし、もつて原告の名誉を毀損した。
(3) 厚生省援護局は、旧海軍が保管していた原告を逃亡として処理している関係書類を引継ぎ、昭和三二年ころ原告の身上調査票を作成するに当り、「二〇・九・二七逃亡」と記載して、原告に対する逃亡の処理をそのまま引継ぎ現在に至つている。
(4) 昭和五六年一一月、原告は、被告に対し、原告の離隊は逃亡でない旨の前記江川中隊長の証明書を提示して、本件身上調査票の逃亡の記載の抹消を請求した。前述のとおり右逃亡の記載は事実に反しており、従つて被告としては、これに応じて右記載の訂正・抹消に応ずべき義務があるのにかかわらず今日に至るまでこれを訂正しない。
(5) なお、原告は、右(1)ないし(4)の全体、換言すると、昭和二〇年九月二七日ころ原告について逃亡と認定し、その後現在まで逃亡したものとして処理してきている被告の継続的な行為が不法行為をなすものと主張するものである。
6(損害)
敵前逃亡罪は、死刑、無期もしくは五年以上の懲役または禁錮を科される重罪であり(海軍刑法第七三条第一号)、軍人軍属にとつては最も不名誉な罪である。原告は、この不名誉な汚名を着せられたまま、これを晴らす術もなく、戦後三〇年以上の長きに亘つて苦しんできた。原告は、戦争中は日本名への改姓も認められるほど日本のために忠誠を誓い、戦地においては身命を賭して日本のために忠勤に励んだにもかかわらず、逃亡の汚名を着せられて生きてこなければならなかつたものであつて、その苦しみは筆舌に尽しがたいものである。また、その汚名を晴らすための活動にも人知れぬ苦労をしてきた。
また、原告は、離隊後戦友から「逃亡」と処理されていることを知らされ、この不名誉な汚名が多数の者に知られていることを知り、更に、被告の関係文書にその旨誤つた記載がされ、著しく名誉を毀損された。
右の継続的な不法行為により原告が被つた多大の精神的苦痛を回復し慰藉するためには、金一〇〇〇万円を下らない慰藉料の支払い、及び謝罪広告がなされるべきである。
よつて、原告は、被告に対し、被告の右継続的不法行為のうち、昭和二二年一〇月二七日の国家賠償法施行以前の行為については民法第七一五条、第七二三条に基づき、それ以後の行為については国家賠償法第一条、第四条、民法第七二三条に基づき、金一〇〇〇万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和五七年一月二二日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払並びに謝罪広告、並びに人格権(プライバシーの権利)に基づき、原告にかかる身上調査票の「逃亡」の抹消をそれぞれ求める。
二請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実中、原告が台湾新竹州にて出生したこと及び昭和一七年八月新竹州巡査を拝命したことは知らない。その余の事実は認める。
2 同2の事実中、原告がかつて日本国籍を有していたことは認めるが、その余の事実は知らない。
3 同3の事実中、厚生省援護局が保管する山田太郎についての身上調査票に「昭和二〇・九・二七逃亡」と記載してあることは認めるが、その余の事実は知らない。
4 同4の事実中、原告が昭和五六年一一月厚生省援護局で江川浄作成の証明書を提示して、身上調査表の逃亡の記載部分の抹消を求めたが、厚生省援護局はこれを拒絶したことは認めるが、その余の事実は知らない。
5 同5の事実中、佐世保鎮守府第八特別陸戦隊司令が、昭和二〇年九月二七日から同年一一月二四日までの間に、台湾籍民軍属調査名簿を作成し、その際、原告につきその離隊を逃亡と認定して記載したこと、厚生省援護局は旧海軍が保管していた関係書類を引継ぎ、昭和三二年ころ、原告の身上調査票を作成するに当り、、「20.9.27逃亡」と記載したこと、昭和五六年一一月、原告が厚生省援護局に対し江川浄の証明書を提示して身上調査票の逃亡記載部分の抹消を請求したが、厚生省援護局がこれに応じなかつたことは認めるが、その余の事実は否認し、争う。
佐世保鎮守府第八特別陸戦隊司令は、終戦に伴い、海南島における台湾籍海軍軍属の人事管理の必要上から、昭和二〇年九月二七日から同年一一月二四日までの間に、台湾籍民軍属調査名簿を作成し、所定の手続を経ずに当該部隊の所在地を離脱した者については「逃亡」と記載したもので、海軍刑法規定の「逃亡ノ罪」に該当する趣旨で記載したものではない。山田太郎はその一人である。
6 同6の事実中、敵前逃亡罪の法定刑が原告主張のとおりであることは認めるが、その余の事実は知らない。
(違法性ないし過失に関する被告の主張)
一 原告は、海南警備府附属の佐世保鎮守府第八特別陸戦隊中の警察隊第四中隊本部(当時の中隊長は江川浄警部)に海軍巡査として勤務していたものである。海軍巡査は、特設海軍部隊臨時職員設置制(昭和一六年一二月二七日勅令第一二〇四号)第一条により、判任待遇とされ、したがつて、官吏服務紀律(明治二〇年七月三〇日勅令第三九号)の適用を受ける者であつた(同紀律第一七条)。ところで、海軍省廃止ニ伴フ海軍所属人員ノ人事取扱ニ関スル件通知(海人一第一号二一一昭和二〇年一一月三〇日)には「内地以外ノ地ニ在ル者ハ内地帰還後解員発令迄現在ノ身分ヲ保有シ且従前ノ編成ニ従ヒ現職ヲ続行セシメラル」とあり、終戦になつたとはいえ、昭和二〇年九月当時においては、原告は海軍巡査の身分を保有していた。
二 そこで、海南部隊における判任文官待遇である海軍巡査が正当にその部隊を離れるためには、次の所定の手続を満たすことが必要である。
1 免職のうえ離隊する場合
海軍文官身上取扱規則(大正四年三月一日達第二四号)第四条ノ二によると、判任文官待遇者の命免は所属長官が行う旨規定されており、また雇員傭人規則(昭和一八年六月一五日達第一四六号)第二二条には、雇員傭人が解雇解傭を願出たる場合各庁長において事情やむを得ないと認めたときにこれをすることができる旨定められているところから、その所属長官の免職の発令を要する。
2 身分を保有したまま離隊する場合
官吏服務紀律第六条には、官吏は本属長官の許可なくしてほしいままに職務を離れ、職務上居住の地を離れることを得ない旨定められており、その本属長官の許可を要する。
3 ここで、右の所属長官及び庁長とは、海軍各庁処務通則(大正五年三月三一日達第三九号)規定(第三ないし第五条)により、海南警備府司令長官のことである。
三 従つて、仮に前記江川中隊長が原告に対し離隊について承諾あるいは許可を与えたとしても、江川中隊長は当時海軍警部であり、原告に対し職務執行上の指導監督を行う立場にあつたものの、前記二の1・2の各権限は有していなかつた。また、海南警備府司令長官が江川中隊長の右承諾ないし許可を追認したとの事実もない。
四 佐世保鎮守府第八特別陸戦隊司令は、終戦に伴い、海南島における台湾籍海軍軍属の人事管理の必要上から、昭和二〇年九月二七日から一一月二四日にかけて台湾籍民軍属調査名簿を作成し、所定の手続を経ずに当該部隊の所在地を離脱した者については逃亡と記載したもので、身上調査票に記載されている「逃亡」は、右記載を転記したものにすぎない。
(右主張に対する原告の認否)
全て知らない。
仮に被告の主張するように官吏服務紀律の規定上手続が定められていたとしても、上命下服、縦割の組織である軍隊においては、手続は全て直属の上官を通じてする外なく、原告は直属の上司である江川中隊長の許可を得て離隊したのであるから、原告としてとるべき手続はこれで十分であり、原告の行為には手続上何ら欠けるところはない。それにそもそも被告主張の各規定は終戦直後の混乱期に正常に機能していたとはいえない。
また、原告の如く中隊長の許可を得て離隊した者をも「逃亡」に含めて処理しているとしたら、そのような処理は、一般通念として逃亡でないものを逃亡として処理するものであつて、個人の人格、名誉を侵害する不当な処理というべく、従つて、裁量権の逸脱である。
三抗弁
(除斥期間)
請求原因5の(二)の(1)ないし(3)の各行為がなされてから二〇年が経過した。
第三証拠《省略》
理由
一 原告が大正九年八月出生したこと、昭和一八年八月氏名をそれまでの郭椿然から山田太郎に改めたこと、昭和一九年三月海南海軍特務部付海軍巡査を命じられ佐世保鎮宅府第八特別陸戦隊の命を承け服務すべしとの命を受けて海南島に派遣されたこと、佐世保鎮守府第八特別陸戦隊司令が昭和二〇年一一月二四日ころまでに台湾籍民軍属調査名簿を作成した際、原告につきその離隊を逃亡と認定して記載したこと、昭和三二年ころ、厚生省援護局が右名簿を引継ぎ、原告の身上調査票を作成した際、これに「20.9.27逃亡」と記載したこと、昭和五六年一一月、原告が厚生省援護局に対し江川浄の証明書を提示して身上調査票の逃亡記載部分の抹消を求めたが、厚生省援護局はこれに応じなかつたこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、以下の事実が認められる。
1原告は、大正九年八月台湾新竹州にて出生し、昭和一七年八月新竹州巡査に任命され、昭和一八年八月氏名をそれまでの郭椿然から山田太郎に改めた。昭和一九年三月八日原告は海南警備府付を命じられ、更に同月二四日には「海軍巡査、海南海軍特務部付を命ず。佐世保鎮守府第八特別陸戦隊司令の命を承げ服務すべし。」との命を受けて同月末海南島に赴任した。海南島において原告は、約五ケ月間の分遣隊勤務の後、嘉積市にある佐世保鎮守府第八特別陸戦隊警察隊本部の情報班長に任ぜられ、その後終戦に至るまでその地位にあつた。その間原告は、密偵を操縦しての情報収集、宣伝、宣撫、帰順工作や右によつて得た情報に基づく中国軍討伐隊の先導等の任務に従事した。原告の情報班長としての活動が優れていたため、昭和二〇年三月ころ敵側から原告の首に金二万円の償金がかけられるということもあつた。
2終戦後、原告は、前記情報班長として活動の故に、中国軍に接収された場合には戦犯として処刑されるおそれが出てきた。そこで原告は、昭和二〇年九月ころ、直属上官である江川中隊長に対し、「どうもやられる可能性が強いから私は支那軍の接収を受けたくない。離隊させてくれ。」と申し入れ、江川中隊長はこれに承諾を与えた。当時、佐世保鎮守府第八特別陸戦隊を含む海南警備府内の組織上の秩序はまだ保たれており、江川中隊長は原告の離隊につき後記認定の官史服務紀律による所定の手続が可能であつたにもかかわらず、事前あるいは事後に原告の右申出を上官である佐世保鎮守府第八特別陸戦隊司令(当時森本一男)もしくは海南警備府司令長官(当時伍賀啓次郎)に上申してはおらず、従つてこれらの者が原告の右申出を了知し、これに承諾を与えたことはなかつた。
3その数日後、原告は、輸送隊のトラックに便乗して海南島北部にある海口市に至り、同市において戦友の川崎に会い、同人から原告の離隊が逃亡として処理されている旨聞かされた。その後原告は、再三身の危険に会いながら、帆船を利用してマカオ、台湾を経由して日本に引揚げてきたが、昭和二三年ころ神戸で戦友の岡本と会つた際にも原告が逃亡として処理されている旨聞かされた。
4そこで原告は、右事実を確認すべく厚生省援護局に赴き、原告の海軍時代の履歴書(甲第一号証)を入手したが、右書類には「20.9.27解雇(於現地)」としか記載されていなかつたため、更に同局から原告の身上調査票の写(甲第二号証の一・二)を入手して、同書面に「20.9.27逃亡」との記載のあることを確認した。原告は、右逃亡の汚名を晴らすため証人を捜した結果、原告の直属上官として原告の離隊に承諾を与えた江川元中隊長が岡山市に在住していることをつきとめ、昭和五五年九月同人方を訪れ、同人から、「右の者(原告)は中国軍の接収を受けることとなれば戦犯として逮捕される虞があることを考慮し私の承諾を得て離隊したものであつて逃亡したものでないことを証明します。」との記載のある証明書(甲第三号証)を入手した。昭和五六年一一月原告は、厚生省援護局において、右証明書を提示して、前記身上調査票の「20.9.27逃亡」との記載の訂正を求めたが、これを拒絶された。
5原告の身上調査票には、前記のとおり「20.9.27逃亡」との記載がなされているが、これは以下のような経緯によりなされるに至つたものである。
(一) 昭和二〇年一一月六日海南警備府参謀長は、府下の各支庁長にあて、昭和一六年一二月八日以降海南警備府管下にあつた台湾籍民軍属であつて解雇解傭された者につき、原籍地、現住所、職種階級、姓名、生年月日、所轄、解雇解傭又は死亡年月日、解雇解傭事由又は死亡の別等を調査したうえ、名簿を作成送付するよう依頼した。佐世保鎮守府第八特別陸戦隊司令は、これに応じて台湾籍民軍属調査名簿を作成し、昭和二〇年一一月二四日これを海南警備府参謀長あて送付した。右名簿中の台湾籍民逃亡者名簿中に「山田太郎20.9.27」との記載がなされている。右記載がなされるに至つた経緯及び何人がいつどのようにして原告が逃亡したとの認定をなしたのかということについては、現在明らかではない。前記名簿は、その後旧陸海軍の残務の整理に関する事務を所掌する厚生省援護局がこれを引継ぎ保管するに至つている。
(二) 昭和三二年ころ、関係国との外交上、朝鮮及び台湾出身の旧海軍軍人・軍属について、その身上並びに給与処理の状況を明らかにした個人別の資料等を調製しておくことが要請されるに至つたので、当時の厚生省引揚援護局においてこれを内部資料として調製整備することとなり、そのころ、同局はその保管する資料に基づき、前記対象者についての身上調査票等を作成したが、原告についての前記身上調査票も右の際に作成されたものである。右身上調査票の作成にあたり、厚生省引揚援護局は、当時保管されていた個々の基礎資料のありのままを個人別の調査票に転記整備することを原則とし、特に状況不明者等に対する調査究明は行わないこととしていた。
6原告は、離隊当時、海軍巡査の地位にあつたものであるが、海軍巡査は特設海軍部隊設置制(昭和一六年一二月二七日勅令第一二〇四号)により判任待遇とされ、官吏服務紀律(明治二〇年七月三〇日勅令第三九号)第一七条により同紀律の適用を受けるものであつた。従つて、当時原告が適法に離隊するためには以下の手続が必要であつた。
(一) 免職のうえ離隊する場合
海軍文官身上取扱規則(大正四年三月一日達第二四号)第四条ノ二によると、判任文官待遇者の命免は所属長官が行うこととされており、ここにいう所属長官とは海軍各庁処務通則(大正五年三月三一日達第三九号)第三条により海南警備府司令長官のことである。従つて原告としては、同司令長官による免職の発令を得たうえで離隊する必要があつた。
(二) 身分を保有したまま離隊する場合
官吏服務紀律第六条には、官吏は本属長官の許可なくしてほしいままに職務を離れ、職務上居住の地を離れることを得ない旨定められており、右本属長官とは前記同様海南警備府司令長官のことであるから、原告としてはやはり同長官の許可を得る必要があつた。
なお、旧海軍刑法第七三条は「故ナク職役ヲ離レ」、例えば戦時下では三日、その他の場合には六日過ぎたるときは逃亡の罪として処断する旨規定していた。
7以上の事実が認められ、右認定に反する<証拠>はにわかに採用することができない。
二右認定事実に基づき、原告の本件各請求の当否につき検討する。
1 慰藉料及び謝罪広告の請求について
この点に関し、原告の主張する被告の違法かつ過失ある行為は以下の四つの所為である。①昭和二〇年九月から同年一一月までの間に原告の離隊を逃亡と認定して台湾籍民軍属調査名簿にその旨記載した。②原告につき逃亡として処理したことをそのころ一般隊員に知れるように外部に漏らした。③昭和三二年ころ原告の身上調査票を作成するにあたり、「二〇・九・二七逃亡」と記載して逃亡の処理をした。④昭和五六年一一月原告からの身上調査票の逃亡の記載の抹消請求を拒絶した。
右のうち、①及び②の各所為はいずれも昭和二二年一〇月二七日の国家賠償法施行前になされたものであり、同法施行前において、公務員の違法な公権力の行使により損害が生じたとしても国はそれに対して賠償責任を負わないものと解すべきところ、被告の右各所為は国の公務員による公権力の行使としてなされたものであるから、被告は原告に対し右各所為によつて生じた損害について賠償する責任を負わないものといわざるをえない。
また③の所為については、被告が原告の身上調査票を作成するに際し、当時前記台湾籍民軍属調査名簿の記載内容の真実性に疑を差し挾むべき事情が存していたとも認められないから、右名簿の記載をありのまま身上調査票に転記したにとどまる被告の所為に違法性ないし過失を認めることはできない。
更に④の所為については、前記一の6に認定したとおり、原告が適法に部隊から離脱するためには海南警備府司令長官の許可を得ることを要するところ、原告が適法に部隊を離脱した事実を証明したのであれば格別、原告は江川元中隊長の証明書を提示したにすぎないのであるから、被告が原告の右抹消請求を拒絶したとしても、被告の所為には違法性ないし過失を認めることはできない。
原告は、直属の上司である江川中隊長の許可を得て離隊したのであるから、手続上欠けるところはなく、また、中隊長の許可を得て離隊した者をも「逃亡」に含めて処理することは裁量権の逸脱であると主張する。
なるほど原告はその離隊の際江川中隊長の許可を得ており、上官の許可を全く受けずに部隊から離脱した場合(<証拠>によれば、当時若干の日本人及び台湾人がこのような形で逃亡していることが認められる。)とはかなり事情を異にし、特に敗戦直後の事情をも考慮すれば原告が身上調査票の「逃亡」の記載が事実に反するとの心情を懐くのも無理からぬ面があることは否定しがたい。しかしながら、前記認定のとおり、昭和二〇年九月当時判任待遇の海軍巡査であつた原告が適法に部隊から離脱するためには、官吏服務紀律の規定上海南警備府司令長官の許可を要するところ、実際には江川中隊長は原告の離隊の申出を、佐世保鎮守府第八特別陸戦隊司令を通じて海南警備府司令長官に上申しておらず、従つて、原告の離隊は同司令長官の許可を得た適法なものであつたとはいえず、しかも、原告は戦犯として責任を追及され処刑されることを恐れ、海南島から脱出するために離隊したものであり、江川中隊長もこのような離隊の動機や目的を承知のうえ、原告の身を案ずる一心から原告を離隊させたものであるから、被告が所定の手続を経ずに部隊を離脱した原告について、台湾籍民軍属調査名簿あるいは原告の身上調査票に「逃亡」と記載し、そのように処理したとしても、それをもつて違法とすることはできない。
すなわち、右「逃亡」とは官吏服務紀律による所定の手続によらないで離隊したことを意味するものであるところ、前記認定の原告の離隊の動機、目的、経緯等に照らせば、原告の離隊がそのような意味での「逃亡」に該当するものと認定されるのもやむをえないものというべきであるから、原告の離隊をもつて「逃亡」として扱つたとしても、その真実性に疑を差し挾むべき事情の存しない本件では、これを抹消しなければならないほど著しく正義に反し原告の名誉等人格的利益を違法に侵害するものということはできない。
もつとも、右「逃亡」という記載は旧海軍刑法の「逃亡の罪」とまぎらわしいきらいはあるが、その性質上それとは異なるものであることはいうまでもない。従つて、いずれにしても原告の主張は採用できない。
以上によれば、原告の慰藉料及び謝罪広告の請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないことに帰する。
2 身上調査票の逃亡の記載の抹消請求について
一般に、個人についての身上経歴等に関する情報を当該個人以外の者が保有する場合において、当該情報中に事実に反する部分が存する場合に、当該個人が右個人情報保有者に対して、事実に反する情報の訂正ないし抹消をいかなる権利に基づき、いかなる要件の下に請求しうるものと解すべきかは困難な問題というべきであるが、右個人情報が当該個人の前科前歴、病歴、信用状態等の極めて重大なる事項に関するものであり、かつ、右情報が明らかに事実に反するものと認められ、しかもこれを放置することによりそれが第三者に提供されることなどを通じて当該個人が社会生活上不利益ないし損害を被る高度の蓋然性が認められる場合には、自己に関する重大な事項についての誤つた情報を他人が保有することから生じうべき不利益ないし損害を予め回避するため、当該個人から右個人情報保有者に対して、人格権に基づき右個人情報中の事実に反する部分の抹消ないし訂正を請求しうるものと解するのが相当である。けだし、右のような場合において、当該個人は他人の保有する自己に関する誤つた情報の抹消・訂正を求めることにつき、重大かつ切実な人格的利益を有しているのに対し、これを認めることにより右個人情報保有者の被る不利益は全くないか、あるいは極く些細なものに留るものと解されるからである。
ところで、原告は被告が原告の離隊を「逃亡」と認定して処理したことが誤りであると主張して身上調査票の「逃亡」の記載の抹消を求めるものであるが、前記認定のとおり、原告は官吏服務紀律による所定の手続によらずに佐世保鎮守府第八特別陸戦隊を離隊したものであり、その動機、目的、経緯に照らし、被告が原告の不適法な離隊を「逃亡」として処理し、身上調査票に「逃亡」と記載したことを非難することはできず、これが明らかに事実に反するものとは認め難い。
以上によれば、身上調査票の「逃亡」の記載の抹消を求める原告の請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないことは明らかである。
三 結論
以上の次第で、原告の本訴請求は全て理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(村重慶一 木下徹信 藤下健)
別紙謝罪文《省略》